「みんな間違っている、感情もただあると見ればいい」
そんな事を感じながら目が覚めた。
私の中で感じる事が真実だ。
小さい頃の傷付いた傷を癒そうと、その時の感情を一生懸命思い出そうとしても「苦しみがある」「悲しみがある」って感情と一体化してなくてまだちゃんと見れてたんだよね。
本当、小さい頃は正しく生きていたんだねぇ。
「みんな間違っている、感情もただあると見ればいい」
そんな事を感じながら目が覚めた。
私の中で感じる事が真実だ。
小さい頃の傷付いた傷を癒そうと、その時の感情を一生懸命思い出そうとしても「苦しみがある」「悲しみがある」って感情と一体化してなくてまだちゃんと見れてたんだよね。
本当、小さい頃は正しく生きていたんだねぇ。
いつも自分の気持ちを正直に伝え合う。
ただただ感じた事を何も考えずありのままに伝え合う。
そんな正直な信頼出来る関係性を選ぼう。
思い起こせば、2011年の3月の震災と同時に始まった私の真実探求ストーリー。
本当に大変で大変で、大変だった辛かったしかない。
でもそれももう終わりを感じている。
今の私はとても穏やかだ。
娘達が子供を身ごもるまでに愛で生きられる様になっていたい。
ずっと必死だった。
本当に間に合った。
来年長女が結婚する事になった。
世代間連鎖だけはさせたくなかった。
こんな辛い思いを、娘や生まれてくる子供達にがしないですむ様にしてあげたかった。
大切な人を想う気持ちが私をここまで頑張らせてくれたと思う。
気が付いたら、娘達はそれぞれ自分の道をしっかり進めていた。
もう、「私が何とかしなければ」「私が幸せにしなければ」なんて必要無かった。
私は、ただ心に寄り添っているだけでいい。
一昨日、無条件の愛の方向に向かい始めたと思ったら、昨日は悟りの方向を見させられ、今日は純粋な子供で生きる事。
本当、目まぐるしく忙しい。
大人で生きるとは頭で生きる事。
良い悪い、損得、合理的、諸々ジャッジで生きる。
子供で生きるとは、なーんにも考えないでハートで生きる事。
今を純粋にありのままで生きる。
真っ直ぐに受け入れる。
ジャッジのない生き方。
頭で生きると、自分のフィルターを通してしか見られない。
そんなのもう嫌だな。
ハートにある内なる純粋な子供を表現して生きる。
それとずっと共にいる事。
大人になんかならなくていい。
この純粋な子供でずっと生きよう。
昔から、私は本当は慈悲の心が既にあるかも知れないという感覚があった。
「人の幸せは自分の幸せ」と内側から訴える様な感覚もあった。
人の幸せ=自分の幸せは慈悲の心だったんだ。
やっぱり既にあったんだ。
思い出そう。